ひむか の 風 に 吹 かれ て。 原酒 風に吹かれて 42度 720ml 芋焼酎

宮崎県:わたしたちの住(す)んでいる宮崎県

ひむか の 風 に 吹 かれ て

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ひむか の 風 に 吹 かれ て

中ごろ、都のうちに、いづくの者とも知られで、さそふ僧侍り。 頭 かしら ・面 おもて よりはじめて、足・手、泥かたにて、気色あさましきが、肩またきものなんども着ず、筵 むし ・薦 こも などうち着つつ、人の家に入りてものを乞ひ、世を渡り侍るになん。 心ばへのいみじくよくて、また、心たしかに侍り。 いささかの木 の枝なども、主 ぬし の許し侍らねば、取り用ゐるわざも侍らざりしかば、人、あはれみをたれて、命をささゆるほどのことは侍りけるとかや。 ある時、人の家に呼び入れて、「これ着よ」とて帷 かたびら を得させ侍りければ、この僧のいふやう、「御志は、かへすがへすもありがたく侍り。 かかるたよりなき者は、人の御憐みならでは、何とてか、何時も侍るべきなれば、便宜よく侍る時は、これをたまはる。 ただし、われらは筵・薦を着慣れて、さやうの物を肩にかけ侍れば、これはいとあたらしく侍るべければ、返し奉り侍る。 ただ、筵・薦などの捨て給ふべき時侍らん。 それらをば得させ給ふべき」とて、返しければ、主 あるじ 、思はずに 思えて、押して取らせ侍れども、「思ふやう侍り」とて、つゆ手にもかけねば、力なくてやみにけり。 ものなども、およそ多くは食はず。 人の得させなんどするにも、「今日は食べぬれば、よしなし」とて取らずぞ侍りける。 「のちのため」とて貯ふるわざもなし。 念仏申し、要文など誦して、思ひ入りたるさまなれども、法文のかたには、もて離れたるさまをぞしける。 ある時、迎西といふ聖のもとに寄り来たりけるに、聖、対面して「心のはるけ侍る法文、一言葉のたまはせよ」とねんごろに聞こえ侍れば、そばなる垣に朝顔の咲けるに、露の置て侍りけるに、折節風の吹きて、露の落ち侍りけるを見て、うち涙ぐみて、 見るやいかに朝にも咲る朝顔の花にさきだつ今朝の白露 しらつゆ 「これこそ法文よ」とて、出で侍りぬ。 その後は、いづちへか、さそらへ行きにけん、ふつと見え給はずとなん。 この聖のありさま、承はるこそ、ことに貴く思て侍れ。 げに、あるにもあらぬ夢の世に、はかなくあだなる身に思ひをとどめて、山林にもこもりやらで、名利の心もはれざんめるに、ひたすら幻の世、仮の身をもて離れ、徳を隠して、乞食頭陀のありさまを示されけん心の中、まことに潔くぞ思え侍るぞ。 昔のかしこき跡を見るにも、「一挙万里によぢて、徳を隠す」といへり。 されば、いかなる智恵の心をおこせるにておはしけるやらん。 かへすがへすも、ゆかしく侍り。 歌さへありがたく侍るぞや。 朝顔の花をこそは、はかなきためしには申すめるに、花に先き立る白露、落ちてはさらに跡もなく、吹き過ぎぬる風、またとどまる所も見えず。 花、また日影にしたがひてしぼみ、日、虚山に傾きぬ。 あだなる世の中に、白駒も過ぎやすく、金烏もとどまりがたし。 されば、なに とて、しばしがほども、いたづらとして過ごせるぞや。 額にはすずろに老ひの波を重ね、眉には霜の積れるをもわきまへずして、はかなき嬰児の父母に貪ずるごとくにして、空しくはせ過ぎ、来世の苦しみを思へば、仏語にはあらずや。 知り顔にして知らざるは、生死の無常に侍るぞかしな。 「あはれ、この乞食の人の心のごとくなる思ひが、須臾ばかりつけかし」と思えて侍る。 このこと、江帥 の『往生伝』にしるし載せ給へり。 見捨がたさに、たくみの言葉をいやしげに引なし侍るなり。 見及ばざるにはあらず。 かの記には、「平の京、東山のほとりにて、往生の素懐をとげぬ」と侍るを見るに、すずろに涙落ちて侍りき。 あはれ、かなしきわれらかな。 十二因縁輪廻の輪、巡りて終なく、二十五有流転の緤、繰りて尽きず。 前際、さだめて輪廻の郷より来り。 後際、必ず妄想の宅に帰りて、互ひに愛網 を出でず。 有情のために、あるいは父母となり、あるいは師弟となり、主従としてこれも着し、かれも貪じて、後れ先だつ時は、往因の酬ふところをも知り侍らで、ただ一世の悲しみと思ふ。 紅涙、そのこととなく袂を染めて、わが後の世のありさまをも知らず。 まことに愚かなるに侍らずや。 往時を春の夢かと思へば、別れ のつらき は、夢にもあらず。 旧遊を谷の響きかと疑へば、古 いにしへ の音は再び聞こえず。 仲尼 、鯉に哭し、顔回、路を失ふ。 上人もこの悲しみをまぬがれず。 上代、その難を離れ侍らず。 わが朝、実徳右将軍は少 をさ なくして厳親に先立ち、京極大相国 、老ひて長嫡に哭しましましけん。 時にとり、御身に当りて、「千万の恨み、唯一身にあり」とこそ、思しめし侍りけめ。 知るべし。 無常はただ生死の家、あやまちあるは、これ分段の郷なり。 しづかにこの理 ことはり を思ひ解きて、額の波の寄りはてず、眉の霜の消えさる先に、後の世の勤めを励まし給へとなり。 翻刻 中比都のうちにいつくの物ともしられてさそふ僧侍り かしら面より始て足手とろかたにて気色浅増きか 肩またき物なんともきす筵薦なとうちきつつ人の 家に入て物を乞世を渡り侍るになん心はへのい/k10l みしくよくて又心たしかに侍り聊の本の枝なとも ぬしの許侍らねは取用わさも侍らさりしかは人あはれ みを垂て命をささゆるほとの事は侍りけるとかや或時 人の家によひ入て是きよとて帷を得させ侍りけれは 此僧の云様御志は返々も難有侍りかかるたより無もの は人の御憐みならては何とてか何時も侍るへき なれは便宜よく侍る時は是を給る但我等は筵こもを きなれてさやうの物を肩にかけ侍れは是はいとあたら しく侍るへけれは返奉り侍る唯筵こもなとのすて給へき 時侍らんそれらをは得させ給へきとてかへしけれはあるし/k11r おもかすにおほえておしてとらせ侍れとも思様侍りとて 露手にもかけねは無力てやみにけり物なとも凡多は くはす人のゑさせなんとするにも今日はたへぬれは無由 とてとらすそ侍りける後のためとてたくわうるわさも なし念仏申要文なと誦して思ひ入たるさまなれとも 法文のかたにはもて離たるさまをそしける或時迎 西と云聖の許により来けるに聖対面して心のはるけ 侍法文一こと葉の給はせよとねんころに聞え侍れは そはなるかきにあさかをの咲るに露の置て侍りける に折ふし風の吹て露の落侍りけるをみてうち/k11l 泪くみて みるやいかにあさにも咲る槿の花に咲立けさのしら露 是こそ法文よとて出侍りぬ其後はいつちへかさそらへ 行にけんふつとみえ給はすとなん此聖の有様承る こそ殊に貴く覚て侍れけにあるにもあらぬ夢の 世にはかなくあたなる身に思を留て山林にも 籠やらて名利の心もはれさんめるにひたすらまほ ろしの世かりの身をもて離徳をかくして乞食頭陀 の有様を示されけん心中実潔くそ覚侍そ昔の賢 跡をみるにも一挙万里によちて徳をかくすと/k12r 云りされは何なる智恵の心を発せるにておはしける やらん返々もゆかしく侍り哥さへ難有侍るそや槿 花をこそははかなきためしには申めるに花に先 立白露落ては更に迹もなく吹過ぬる風又ととまる 所もみえす花又ひかけに随てしほみ日虚山に傾き ぬあたなる世中に白駒もすきやすく金烏も難 留されは侍とてしはしか程もいたつらとして過せるそや 額にはすすろに老の波を重ね眉には霜のつもれ るをも弁へすしてはかなき嬰児の父母に貪す ることくにして空しくはせ過来世のくるしみをおもへは/k12l 仏語にはあらすや知かほにして不知は生死の無常に 侍るそかしな哀此乞食の人の心のことくなる思か須臾 はかり付かしと覚えて侍る此事江帥の往生伝に 注載給へりみ捨かたさにたくみの詞をいやしけに 引なし侍る也見およはさるには非す彼記には平の 京東山のほとりにて往生の素懐を遂ぬと侍るを みるにすすろに泪落て侍りき哀悲き我等かな 十二因縁輪廻の輪巡て無終二十五有流転の 緤繅て不尽前際定て輪廻の郷より来り後 際必妄想の宅に帰て互に愛細を不出有情/k13r 為に或は父母となり或は師弟となり主従として是も 着し彼も貪て後先たつ時は往因の酬所をも しり侍らて唯一世の悲と思ふ紅涙その事となく 袂を染て我後の世の有様をも不知実におろかなる に侍らすや往時を春の夢かと思へは籠のつつき は夢にもあらす旧遊を谷の響かと疑は古の音は 再不聞仲尼哭鯉顔回失路上人も此悲をまぬかれ す上代其難を離れ侍らす我朝実徳右将軍は少 して厳親に先たち京極大相国老て長嫡に哭 ましましけん時に取御身に当て千万の恨唯一身に/k13l 有とこそ思食侍りけめ可知無常は唯生死の家軼有 此分段之郷也閑に此理を思ひ解て額の波の寄 はてすまゆの霜の消さる先に後の世の勤をはけまし 給へとなり/k14r.

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巻1第3話(3) 無縁僧帷返 [やたがらすナビ]

ひむか の 風 に 吹 かれ て

「えっ、これは『味噌汁・ご飯』授業が目指してきた授業じゃないか!」 というのが最初の感想。 長崎の山中太先生のFB(フェイスブック)である。 中学校の社会科の先生である。 知り合いである。 一度、福岡で講座をもったときに長崎から駆けつけてこられて、お会いしたことがある。 こんな授業を示されている。 勉強が苦手な生徒も楽しく参加できるような工夫を取り入れています。 例えばこんなことです。 (知識よりも発想力,想像力を評価します。 社会科の授業が終わる頃,「えっ,もう終わり?」という声が聞こえてきます。 ゲームに慣れきっている生徒を授業に乗せるために,いろいろな工夫が必要だと思います。 とにかく50分間だまってイスに座らせ,じっと教師の説明を聞かせ,ひたすらドリルを解かせるなんて授業をしている教師は,まだいるのでしょうか。 別のところで、初任者に見せた授業の内容を公開されている。 モンゴルのステッでの暮らしを学ぶというものです。 いくつもの小さな課題に取り組ませ,その都度,個々の生徒をフォローしていくのが,私の授業の流れです。 意識していることは,テンポです。 テンポ授業を進めて生徒をのせてしまうのです。 初任者の感想です。 「疾走感があるのに,すべての生徒が授業についてきているのに驚きました。 」 さあ,この後,この初任者がどう動くか楽しみです。 これが、具体的に、こうして、しかも中学校の授業で実現されている。 何とも感激する提案である。 (つづき) 「漢字テストの結果が悲惨です」 「味噌汁・ご飯」授業研究会の秦安彦先生からのFB(フェイスブック)である。 研究会のメンバーに聞き取りをしたところ。 複数の学校で、つぎのようにカリキュラム・マネジメントをすることがわかりました。 できれば4月分からやり直す。 非常に先進的な取り組みをしている学校の先生からも次のような報告がありました。 分散登校中 学年代表が「これは売り物になるレベル」と絶賛したワークシートが完成したのでそれを家庭学習の課題として使用したそう。 課題の提出も徹底させ、もれなく確認したとのこと。 なのに、テストをしたところ、「やはり、学校の、授業は大切だった」と再確認しているとのことです。 家庭で学ばせているから、そこは削っても大丈夫・・・とはならないことに十分留意する必要があるということです。 そこだけ新幹線授業は危険だということです。 初任者からは、特に「漢字テストの結果が悲惨です」との報告が複数寄せられました。 ワークシート学習やオンライン学習が、実際のテストではふるわなかったという結果である。 また、「漢字テストの結果が悲惨です」という結果。 これは何であろうか。 「ドイツの心理学者、エビングハウスが行った記憶実験によると、記憶した20分後には42%を忘れ、1時間後には56%を忘れ、1日後には74%を忘れることが明らかにされました。 記憶というのは、時間とともに猛烈なスピードで忘却されていくのです。 これを防ぐ方法が『復習』です。 」(『覚えない記憶術』樺沢紫苑著サンマーク出版) 有名な記憶実験である。 これによれば、今日勉強したことは、次の日には74%も忘れるということである。 それを防いでいくのは、「復習」しかないというのである。 「だいたいの目安としては、情報の入力から2週間で3回のアウトプットをすると、長期記憶として残りやすくなるといいます。 ただ、「漢字テストが悲惨」というのは理由が、はっきりしている。 子供たちは、ワークで「インプット学習」をしたのである。 これだけでは漢字は覚えない。 「アウトプット学習」をちょこちょこと加えないとダメだ。 漢字の場合、アウトプット学習とは、テストのことである。 インプットしたことを覚えたかどうかの確認(テスト)をしなければ覚えたことにならない。 今、算数の共同研究をやっているが、「算数学力向上メソッド」を使って授業ー宿題ー復習テストというシステムを駆使しての研究である。 その場合、必ず授業の最初に5分間だけ復習テストを行う。 この復習テストは、昨日の授業の練習問題そのまま。 3分で行うようになっている。 昨日学習したことを思い出させて、そこから今日の授業に入って行くのである。 算数は系統性が重視されるので、絶対にこれが必要になる。 昨日学習したのは、今日は、もう74%忘れられていると考えねばならないからである。 私もクラス担任の時に、手ひどい結果を経験している。 昨日の算数の授業で、全体にノートをもってこさせて、ひとり一人マルをつけた。 ちょっとむずかしい課題だったので、丁寧にやったのである。 ところが、たまたま昨日の練習問題を解かせてみたことがあった。 結果は、半分しかできなかった。 愕然とした。 「あれほど丁寧に、ひとり一人確認したのに、どうしたことか!」と。 この経験からむずかしい課題のときは、何度か昨日の練習問題を出してみた。 やはり5,6割しかできなかった。 エビングハウスの記憶実験によれば当然のことだが、この時には、このことを知らなかったのである。 それ以来、授業の最初には、必ず5分の復習テストをすることにしたのである。 ワークシート学習やオンライン学習の場合でも、この学習を途中途中でチェック・確認するところがなければ、その学習は生きてこないはずである。 インプットだけの学習になってしまう。 ここが抜け落ちている場合が多いのだ。 校内指導は拠点校指導員の努力で何とかカウントは増やせていますが,初任者が一堂に会しての研修会が1回も実施されていません。 教育センターからDVDとレジュメが送られてきて,視聴しながらまとめていくという何とも悲しい研修になっています。 「3密」を回避するための方策であることはわかりますが,これではあまりにも初任者がかわいそうです。 同じ悩みをもつ教師どうしが顔を見ながら話をすることで,悩みが軽減する可能性もあるのです。 そこからつながりが生まれることもあるのです。 学びのスイッチが入る場合もあるのです。 まずは,人数を減らしてでも初任者が顔を合わせる場をつくってほしいと思います。 私が今年度行うことになっていた初任者研修は、1つを除いてみんな中止になった。 7月に行う初任者研修は、担当する指導主事の先生から「何とかしたい!」という連絡があった。 それもどうなるか分からない。 授業、授業と詰め込んでいる。 もちろん、学校の方針である。 校長の指示により、単元の遅れを何とか解消しようと詰め込んでいるわけである。 子供たちの思いはそっちのけ。 「荷物を届けにきましたが、お留守だったので持ち帰りました。 確認してください。 」と書かれていた。 荷物が届くことになっていたので、すぐに返信した。 「今はいます。 よろしくお願いします。 女房から「これっておかしいよ!」と言われた。 そう言えば、ずっと家にいたのである。 スマホに、こんな不在メールが届くことは今まではあり得ない。 普通相手からの荷物には、固定電話が書かれているはずである。 おかしい! それ以来、何の連絡もなかった。 娘からは、それは「なりすまし詐欺だよ!」と連絡がきた。 ヤマト運輸のショートメールに多発していることが書かれている。 「やられた!」というところである。 皆さんも、気をつけてください! 「シゴトのヒント365」(神田昌典) に次のようなことが載っていた。 「問題の本質的な答えは、目に見えるところではなく、 誰も注目しない「裏」だったり、 「間」だったり、または「ゴミ箱」の中などに 隠されています。 片っ端から写真を撮って、 あとから写真の中に答えを探してみると、 ほぼ確実に、とんでもない宝物が発見できます。 家の中を歩くのだが、その歩いているときに、暇なので、暗唱をすることにしている。 ながら族なので、何かをしながら、そのことをやる。 最初は、滑舌などを行っていたのだが、最近は、「外郎売り」を覚えている。 これは、有名なたたき売りの言葉で、最近は、海老蔵の息子の舞台のデビューは、この「外郎売り」だとテレビで言っていた。 私はネットで調べて、手に入れたのだが、A44枚びっしりである。 これを歩きながら、覚えるのである。 これは老人でも覚えられるのかなと最初思ったものだが、できるのである。 調子が良いので、すらすらと覚えられる。 最近は、全部言えるようになっている。 すらすらと出てくる。 それでも、1年間かかったのだが…。 毎日ちょこちょこと少しずつ覚えたわけであるから。 「拙者親方と申すは、……」から始まり、「…ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。 」で終わる。 今日も、今言い終えたばかり。 老化は、確実に声から始まる。 認知症予防と老化防止のための、ささやかな抵抗である(笑)。 この問題は、さまざまなメディアに取り上げられている。 私も、いくらか冷静に花さんの問題について考えられるようになった。 確実に分かるのは、22歳の花さんが、この中傷ツイートに耐えられなかったということである。 例えば、今小学生のほとんどが、ユーチューブに熱心だと聞いている。 だから、将来の夢は、「ユーチューバーになること」という子供たちが増えているらしい。 今の若者たちが、いかに「人からどう見られているか」「人にどう見られたいか」「人とどう付き合うか」という世界だけで生きているかがよく分かる現象である。 これは、辛い世界だ。 こんな辛い世界で、毎日100通も越える中傷ツイートで攻められたら、ひとたまりもないのではないか、と。 「皆さんにお願いがあります」「どうか花のことでご自分を責めないでください。 他の誰かを責めないでください。 なにかを恨まないでください。 ヘイトのスパイラルを止めてください。 」「もうこれ以上こんなことが起こらないように 花が望んだやさしい世界に少しでも近づけるように」と。 K(私たちはキムコと呼んでいた)は、連絡が取れない花さんのマンションに最初に駆けつけて、亡くなっている花さんを見つけている。 救急車が駆けつけてきたときには、花さんのそばで泣き崩れているKがいたと報道は伝えている。 その様子に、冷静ではいられなかった。 人を許すことは、人にとって一番むずかしいことである。 Kは、それをやっている。 ある哲学者は、言っている。 「その人の人生はその人の口から出た言葉の方向に進む」と。 こうして人を否定する言葉ばかりを連ねて中傷していると、その人の人生は、自らそうなっていくのである。 もうなっているのかもしれないのだが…。 学校を訪問して、先生たちの授業を見せてもらうときにマスクをして授業をしている先生がおられることがよくある。 冬の時期に、風邪をひいている場合は仕方がない。 でも、そういう場合でなくてもしている先生がおられる。 そんな場合があるので、直接本人か校長に伝えている。 「マスクをしょっちゅうしている場合は、教師の表情が子供たちに見えないので、これは大変困ります。 教師の場合は、この表情で伝えることはとても大切になりますので…」 これがどれほど伝わるのか、ちょっと心配である。 担任の場合、子供たちと「関係」をつくるには「言葉」と「表情」しかないのである。 とくに、担任の、「上機嫌な表情」を見せられたら、それだけで子供たちは安心の心持ちになる。 その表情の一つひとつに、子供たちは敏感である。 だが、その表情がマスクによって読み取れない。 子供たちはどうなるのか。 間違いなく、警戒感が起こる。 先生が今どんな顔をしているのか読み取れないのだから、こちらは身構える以外になくなるはずである。 全部の先生たちが、マスクをして子供たちに対しているはずである。 今、マスクをしないという選択肢はありえない。 だが、そのマスクが、どれほど久しぶりに会った子供たちに警戒感を起こさせているかを考えられているのだろうか。 今、やらなければならないのは、子供たちとの「関係づくり」なのである。 繰り返しになるが、「関係づくり」では、「言葉」と「表情」しかないのである。 この「表情」をマスクによって完全に断たれているわけである。 あとは、「言葉」だけ。 前回のブログで伝えた通りである。 親しい知り合いの先生のクラス(5年生)では、持ち上がりにもかかわらず「暗くなんだかよそよそしい」という感じになっているということ。 昨年受け持っている、特別支援を要するN君は、昨年できていたことが、全くできなくなっていて、目も合わせられない上に、情緒も不安定になっていた、というのである。 このN君は、昨年算数で格段の力をつけ、テストでは90点、100点を何度もとって、絶好調という状態だったはずなのである。 それが、この3ヶ月の休校の間に、大きく変わっている。 振り出しに戻ったという感じ。 ここから始まっているという認識を、先生たちは強くもつ必要がある。 それを受けて、先生たちも、授業、授業と迫っている。 これで大きく失敗する。 校長先生たちの中には、先生たちに「ゆっくり」というテーマを伝えている方もいる。 見識がある。 先生たちは普通でも授業の遅れにあせっているはずである。 それを見越して、「あわてるな、ゆっくりでいい」と伝えているわけである。 単元の遅れなどどうにでもなる(笑)。 そんなことより、今は「関係づくり」をどうしていくかなのである。 教室を「安心できる」場所にするために、まず「頼りがいのある担任であること」を伝えなくてはならない。 そのために、マスクのリスクを回復するには、「言葉」と「活動」をどう工夫するかなのである。 絶対に「授業、授業」をやってはいけない。 先に上げた先生は、授業を進めることをやめ、分散登校で離ればなれになっているチームがお互いに関われるようにメッセージ交流をしたり、心をほぐせるように毎日ゲームをしたりしながら、取り組んでいる。 マイナスを改善できたのかなと、先生は語っておられる。 こういう工夫を今やるべきことである。 学校が再開して分散登校になっている。 子供たちがどんな様子か聞いてみると、子供たちが冷めているということらしい。 中でも6年生がめっちゃ冷めている、と。 まず、声が出ない。 休み時間はいいが、授業では大変らしい。 校長からどんどん授業を進めないと、と言われていて、進めるのに必死だが、子供たちが全然乗ってこない状況らしい。 私が予想していた通りになっている。 多賀一郎先生が、FBで次のようなことを書かれていた。 という声を分散登校の始まった学校から よく聞く。 そりゃあ、今は、この自粛ムードの中で 緊張して登校しているから。 いろいろと規制がかかり、 自由に伸び伸びとした活動ができないから。 抑制していることがたくさんあるから。 こんなの、長く続くわけがない。 反応が薄かったという声も聞く。 どうしていいのか分からないんだろうね。 子どもが子どもらしくないってことだ。 これは、きっと、次第に崩れてきて 収拾つかなくなることが出てくるよ。 抑圧されたものは、 必ず反動として表に出てくるから。 それを見据えての学級づくりを 考えなければならない。 今は、一人一人の子どもの真の思いに どれだけつきあえるか が、大切。 学級っていいなあという 楽しさと連帯感を持たせることが必要。 一ヶ月先、二ヶ月先を見据えての 今なのだ。 長く自宅で自粛してきたのである。 子供たちは、さまざまな規制と抑制が重なって、自分をどう表現していいか分からないのである。 こんなときは、反応がないし、声が出ない。 当たり前である。 こんなとき、校長から言われた通り、授業、授業と必死になっている先生はあとで地獄を見ることになる。 多賀先生が言うとおりに、 「今は、一人一人の子どもの真の思いにどれだけつきあえるかが、大切。 学級っていいなあという楽しさと連帯感を持たせることが必要。 一ヶ月先、二ヶ月先を見据えての今なのだ。 」 子供たちに、「一人で家にいるより、みんなで過ごした方がやはり楽しいなあ!」「今度の先生もおもしろそうだし、良かった!」という思いを持たせることなのである。 それをしなければいけないのに、授業、授業とやってしまっている。 これはきちんと今やっておかなくては後で困ることになる。 これを合間合間にやっていけばいいのである。 繰り返すが、絶対に授業、授業と必死になってはいけないのである。 これをやったら絶対に失敗する。 失敗の様子が目に浮かぶ。 庭野三省先生が日本教育新聞に『初任者指導の教科書』(明治図書)の書評を書いてもらえた。 私たちの意図以上に読み込んでもらって、大きな問題提起をしてもらっている。 ありがとうございました。 だからこそ初任者の指導者だけでなく、初任者自らもこのような本を読み、学校再開後の指導に思いをはせていただきたい。 いや、この本は初任者だけに活用される本ではない。 若手、中堅、管理職も手にして、もう一度、教師の在り方について見直しを迫る高著である。 著者の一人である野中氏は、指導の先生と初任者の間に「すれちがい」が起きていると指摘する。 この「すれちがい」とは、学級づくりよりも授業づくりを優先する現状の初任者指導である。 この「すれちがい」を修正するには、おそらく国レベルで初任者研修の在り方まで修正しなければならないだろう。 だから初任者指導を担当されている文科省の関係者も読んでいただきたい一冊でもある。 「群れ」の状態から「仲間」意識のある集団に変えていくには、学級づくりの研修が欠かせない。 また、この取り組みが、今後の初等教育の命運を握っていることに思いを向けなくてはならない。 まだ休業の所やようやく再開した学校もあるだろうが、子どもたちの前で「機嫌よく振る舞える」ようにするためにも、ヒントになる情報が満載の本である。 校内研修の見直しをも求める一冊である。 (庭野 三省・新潟県十日町市教育委員会教育委員) 悲しいできごとだった。 24日昼食を食べながら、テレビに目をやっていると、いきなりのニュース。 「えっ、花じゃない!花だよ!」と。 女子プロレスラーの木村花が亡くなった。 22歳。 2016年にデビューしていた。 「どういう関係ですか?」ということになる。 木村花のお母さんK(彼女も女子プロレスラーだった。 今は引退している)のW小学校での6年担任である。 私が東京のプロレス会場に、Kの試合を見に行ったとき、おばあちゃんに連れられて、花も来ていた。 3人でリングの真ん前に座り込み、応援をした。 花はまだ4、5歳の頃。 この頃から花は、活発で、しゃきしゃきの女の子。 母親Kの試合に、盛んに「K がんばれ!」と檄を飛ばした。 その花が、亡くなったのである。 大きく報道されていて、少しずつ状況が分かってくる。 午前3時過ぎに救急搬送されたが、死亡が確認された。 状況はまだはっきりしないが、テラスハウスのファンなどから毎日数百もの中傷ツイートを送られていたということである。 花は、これにやられたのであろう。 どんな人も、毎日数百の中傷ツイートをされたら、参ってしまうのは明らかである。 これをやっている人たちは、このツイートをすることで、小さな満足を得ているのだろうか。 しかし、この小さな刃が、こうしてある場合には人を死に追いやってしまうのである。 だが、この刃が、いずれ自分に向かってくるということを知らなくてはならない。 人は、公平にできている。 人の一生は、でこぼこの人生だが、一生をトータルに眺めてみると、公平にできているのだと、哲学者の森信三先生が書かれていたことがある。 人を中傷して、それで満足している人たちは、いずれその刃が自分に向いてくることを知らなくてはならない。 そのように、この世は、できているのである。 無念である。 その無念さをどうしていいか、その怒りを収められない。 ある保護者の方のコメントのつづきです。 学級崩壊について、以下のように書かれています。 「 学級崩壊を考える時、真面目に授業を受けたい子どもの存在を忘れないでください。 」 まさに、言われるとおりです。 学級崩壊になっているクラスでも、全員がそれに加担しているわけではなく、きちんと真面目に授業を受けようとする子供も確かにいます。 担任は、絶対に忘れてはいけないことです。 これで悩んでいる保護者の方も多いのです。 それというのも、学級崩壊は、もう全国的に、日常的なこととして広がっているからです。 安全な地域などはありません。 数多く起こっているのは、関東圏、関西圏の都市圏ですが、今は地方にも広がっています。 新しい学習指導要領の実施が、今年度から始まっています。 コロナ問題で、今はそれどころではないのですが、アクティブ・ラーニングといって、対話的な学習を数多く始めようという試みです。 私は、今学校現場が抱えている問題は、それどころではないと考えています。 学校の最大の問題は、学級崩壊をどうしていくか、なのです。 学校は、これについての対処法を持っておりません。 やっていることは、対症療法だけです。 だから、保護者の子供さんの学年の先生が、学級崩壊で休職に入るという事例は、どこの学校でも日常茶飯事として起こっています。 講座が終わって、その保護者の方2名が相談に見えました。 「野中先生、私の子供たちの学校は、ほとんど全部のクラスが学級崩壊になっています。 私たちがこれからどうしたらいいのか相談にのっていただけませんか?」と。 学校のほとんどのクラスが学級崩壊になっているというのは、驚くことで今まで聞いたこともない事例でした。 でも、実際に、こんな学校もあるのです。 2月のことでした。 私は、保護者の方たちが集まって(PTA組織はもう使いものにならないだろうから)、代表者が、教育長に会って掛け合う必要があると伝えました。 「私たちの学校をどうしてくれるのか?」と。 もう1つは、学級崩壊で学力の補完ができていないだろうから、家庭で何とかしないといけないとも伝えました。 何の相談にもならなかったのでないかと思われましたが、驚くことが起こっているのだとびっくりした事例です。 その6年のクラスは、異動してきた、ベテランの先生が担任をされました。 問題は、始業式の次の日から起こりました。 2日目のことです。 ある1人の男の子が、筆箱を落としました。 それを合図に、7,8人の子供が次々に筆箱を落とし始めました。 先生はびっくりして、何をしているのだと叱ったというのですね。 しかし、その子供たちは、それに対して嘲笑で返してきたというのです。 それから、そのクラスは学級崩壊が始まりました。 知り合いの先生が調べてみると、ボスの男の子が、「あいつ気にくわないから辞めさせようぜ!」となり、「明日オレが筆箱落とすから、その合図でみんなも落とせよ。 何か言ったらみんなで笑おうぜ!」となったらしいのです。 その打ち合わせがあったのは、始業式があって、まだその担任がどのような先生なのかも分かっていない段階なのです。 とにかく第一印象で、「あの担任気にくわない!辞めさせようぜ!」となったらしいのです。 その学年は、ずっと荒れてきた学年で、担任の先生も辞めたりした事例が今までもあったらしいのです。 そのベテランの男の先生は、何とか周りの先生たちの助けもあって、1年間を凌いだということ。 さらに調べていくと、そのクラスでは、学級崩壊を起こしている子供たちのバックに保護者2,3人もついていて、けしかけていたということも分かったのでした。 こういう事例もあるのです。 こんなクラスでは、どんなに力量がある先生が担任をしても、やってはいけません。 影響力のある子供が、「このクラス壊そうぜ!」と考えたら、担任はどうにも対処できないのです。 ちょっと極端な事例だったかもしれません。 でも、確実にこの事例のような場合を氷山の一角として数多くの学級崩壊が広がっています。 もちろん、この事例を紹介したところで保護者の方がどうにかできるということではありません。 ただ、ぜひとも学校が今どのようになっているのかを知ってほしいと思ったからです。 保護者の方がどうにもできないと言いましたが、教師の方も、どうにもできない事例が起こっているのです。 クラスに1人の影響力のある子供がいたり、影響力のある保護者がいたりして、担任が嫌われて、潰してやろうと身構えられたら、もうどうにもならない段階になり、学級崩壊をします。 どうにもならないのは、教師としての力量がある先生でも、どうにもならないことなのです。 ほとんど全部の教師が、いつ何時、こういう事態にあうか分からないのが今の学校のリアルなのです。 ただ、多くの教師たちが、こういう認識には至っていません。 それがさらに深刻なことだと、私は思っているのです。 私も、学級崩壊にならない処方箋を何冊かの本にしてきました。 しかし、その処方箋も、所詮限界があります。 影響力のある子供や、保護者が、学級崩壊を起こしてやろうと意図すれば、もはやどうにもならないからです。 アメリカをはじめ、諸外国は、他の子供の学習を邪魔する、こういう子供は、退学です。 法律で学校や教師たちを守っています。 学校や教師たちが、何度指導をしても聞かない場合は、そういう子供たちを退学にする権限が与えられています。 日本には、そういう法律はありません。 だから、そういう子供たちはやりたい放題です。 教師は命がけで学級崩壊に対していきますが、子供たちはゲーム感覚です。 「先生たちだって問題があるではないか!」と言われそうです。 確かに、問題がある場合も多いのです。 それは認めます。 人間的に未熟である、指導力に問題がある、……。 もちろん、教師もまた人間ですから、問題はあります。 しかし、現実は、教師がどうするかという段階を越えている場合が多々あるのです。 ただ、この事態をお知らせしたのは、ほとんどの保護者や世間の人たちは、この現実を知られていないので、あえて書きました。 もし保護者の方の学年で、学級崩壊が続いていくとするなら、せめて担任に「がんばってください。 」という一声をかけてもらえばありがたいのです。 その一声で、担任は休職や辞職をしないですむかもしれないのです。 ある保護者の方からコメントをもらいました。 次の内容です。 登校日の2時間の間に約40人の保護者が宿題と宿題の答えを取りに行ったのみです。 今までに登校日は2回のみです。 宿題といっても、我が子の学校は、ほとんどの教科がワークブックで授業が進められるので、何ページまでという指示のみです。 先生とは、挨拶のみ交わしました。 その後、電話も手紙もありません。 ゴールデンウィークあけに、先生の指示で、半分ほど、保護者が丸をつけた課題を休校になって初めて提出しました。 提出課題か返却されるのは、再開後です。 これで、いいのでしょうか? 我が子の学年は学級崩壊をし、先生が休職されました。 また、再発するのではないかと心配です。 学級崩壊を考える時、真面目に授業を受けたい子どもの存在を忘れないでください。 学級崩壊の登場人物は、先生と加害児童と加害児童の保護者だけではありません。 家庭学習を取りに行くのは、2回のみ。 保護者が丸を付けて提出というような形式らしいのです。 これでいいのか、という問いかけです。 これだけ長い休みなのです。 もう少しきめ細かいサポートができなかったのかと、私なら思います。 日本全国のさまざまな学校で、今回、この種の家庭学習の宿題を出したのでしょう。 多分、どのような学習課題を出すか、どのようにして出すかと学校で検討され、全校一斉に「こうしましょう!」と出されたのが、その課題です。 一人一人の教師が、それぞれ勝手にやらないように学校で統一されているのだと思われます。 「オンライン授業をしよう!」と若い先生たちで話し合いをして、いざ校長のところへもっていくと、校長は、教育委員会へ問い合わせて、「だめだ!」となります。 私の知り合いの先生の学校は、実際にそうでした。 教育委員会も管理職も、そのオンライン授業で何かトラブルが出てきたときに、その対応に苦慮するので、余計なことをやらないようにとなったのだろうと予測できます。 だから、公立の学校では、5%ぐらいしか実施していません。 だが、オンライン授業をしても、満足な状態になったかというと、前回のブログで書きました女医さんのお子さんの状態になる子もいるのです。 これは、私立の学校の場合です。 公立でこのようなことをやったら、満足な状態になることはないと思われます。 家庭にパソコンがない場合も多々あるはずです(東京では8万人の子供がパソコンなどないという報道がありました)。 それは、学校が今までこのような学校休校を予測して準備する取り組みをまったくやっていなかったからです。 オンラインでどうしていくかなどほとんど考えていませんでした。 学校は、子供たちが学校へ来てから、どうするかだけの発想しかありませんでした。 だから、学校の問題、個々の先生たちの問題だと言えないと私は思います。 国の文科省だって、右往左往しているのです。 その下にいる教育委員会や学校が、満足にやれるはずはありません。 明治以来の学校制度の中で、学校はこういう経験をもったことがありません。 だから、大混乱をしてしまったのです。 3月の休校のときには、保護者の多くの方は、学校へ託児所と公園を期待されていました。 私は、そのように感じました。 しかし、4月からの休校では、「勉強はこのままでいいのか?」「我が子は勉強がおくれるのではないか?」と学習のことが問題になりました。 保護者の方の危惧感はよく分かります。 私はもう現場を離れて長くなるのですが、現場の先生たちも、どうしていいのか右往左往している様子が手に取るように分かりました。 知り合いの先生の学校では、先生たちがどんどん落ち込んでいくと知らせてくれました。 先生たちも、どうしていいか分からなかったのです。 何の解決にもなりませんが、現状をお伝えしました。 もう一つ、学級崩壊について書いてありますが、それは次回に書きます。 (つづき).

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