きた れ バウハウス。 「バウハウス」開校100年展 革新的な造形教育の一端を体験

知っているようであまり知らない「バウハウス」のこと

きた れ バウハウス

バウハウスは1919年、ドイツの古都ヴァイマールに開校した造形学校。 ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエとともに、「近代建築の四巨匠」にも数えられるヴァルター・グロピウスによって誕生した。 同校は、ヴァシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなど、今もその名が知られる芸術家らが指導にあたり、優れた建築家やデザイナーが生まれたが、ナチスの弾圧によりわずか14年で閉鎖。 しかし同校で実践された実験的な造形教育は、今日でも高く評価されている。 会場では、バウハウスの基礎教育を中心に、各教師の授業内容を紹介し、その一端を体験することが可能。 そこから発展した様々な工房(金属、陶器、織物、家具、印刷・広告、舞台など)での成果や資料など約300点を展示する。 また、日本からバウハウスに留学した水谷武彦、山脇巌、山脇道子、大野玉枝による作品や資料も紹介。 合理的かつ実践的なデザインのエッセンスを再確認する。 開館時間は10:00〜18:00(金曜日は20:00まで)。 休館日は月曜(8月10日、8月31日は開館)。 入館料は一般1200円。

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「バウハウス」開校100年展 革新的な造形教育の一端を体験

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1919 ワイマール国立バウハウス発足。 グロピウス校長のもと、ヨハネス・イッテンなど3人のマイスターが集結。 予備課程、版画、彫刻、陶器、ステンドグラス、織物、家具、舞台などの工房を設置。 1922 ヴァシリー・カンディンスキー参加。 1923 グロピウスとの指導理念の不一致により、ヨハネス・イッテンらがバウハウスを去る。 実験住宅アム・ホルンの家が竣工。 「芸術と技術の新しい統一」をテーマとする展示会「バウハウス展」を開催。 1924 政権を握ったドイツ人民党からの圧力を受け、バウハウス自主解散。 実践的な工業デザイン学校に。 1925 デッサウ市立バウハウス開校。 グロピウス、工房作品を販売する有限会社バウハウスを立ち上げる。 マルセル・ブロイヤーが世界初のスチールパイプ椅子を制作。 1926 グロピウス設計によりバウハウス・デッサウ校舎が竣工。 バウハウス制作の家具や照明器具が設置された。 労働者向けの集合住宅・テルテン団地、第1期竣工。 1927 バウハウス建築学部が誕生。 1928 グロピウスが突然辞職。 ハンネス・マイヤーが2代目校長に就任。 1929 展示会「バウハウスの10年」を開催。 バーゼルなど6カ所を巡回。 ミース・ファン・デル・ローエ、バルセロナ万博ドイツ館を設計。 1930 政治的理由からデッサウ市はマイヤーを解雇、ミースが3代目校長に就任する。 社会主義色を払拭した建築学校に変身。 1932 デッサウ市でのナチスの台頭でバウハウスが廃校に。 ミースはベルリンの元電話工場で私立バウハウスを再開。 1933 ベルリン警察とナチスが学校を封鎖。 ミースがバウハウスの閉校を学生に通知。 1937 グロピウスは、ハーバード大学デザイン大学院で建築学科の教授に。 1938 ミースは、現イリノイ工科大学の建築学部長に迎えられる。 1951 ドイツではマックス・ビルにより、バウハウスの理念を継承するウルム造形大学が建設される。

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バウハウス誕生に至るまで

きた れ バウハウス

バウハウスは、1919年に第一次世界大戦後ワイマール共和国時代に始まった デザイン運動、また学校。 ドイツ語で「建築の家」を意味する。 ウイリアムス・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォーと同じく、職人の地位的向上を目指していた。 バウハウスは、自然主義的で流線的で装飾性が中心のアール・ヌーヴォーと異なり、 幾何学的であり、機能主義的なデザインが特徴。 「モダニズム」と呼ばれるデザインの代名詞といえる。 新しい機械ないし、工業生産時代を迎えるにあたり、デザインはどうあるべきかという問題に取り組み、工場建築、集合住宅などに特に成果をあげた。 建築家のワルター・グロピウスが運動の中心人物。 バウハウスの前身はワイマール大公が設立した美術アカデミーと工芸学校(校長はベルギーのアール・ヌーヴォーを代表するデザイナー、ヴァン・デ・ヴェルデ)で、グロピウスはこれをひとつに統合してバウハウスと名づけた。 バウハウスデザインの中心は建築である。 グロピウス自身、中世の総合芸術ともいうべき大聖堂を思い浮かべつつ、「すべての造形活動の最終目標は建築である。 建築を装飾することはさまざまな美術の最も高貴な課題である」と述べた。 学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた。

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