ね こと ちよ。 【ねことちよ】 [感想] 猫みたいな幼児に癒される日々 #1巻応援

【ねことちよ】 [感想] 猫みたいな幼児に癒される日々 #1巻応援

ね こと ちよ

「好きな人の好きな人を好きになりたかっただけ」 ある映画の中でヒロインが放ったこの台詞を聞いたとき、なんて素直で純粋で、できた人間なのだろうと思った。 私が彼女と同じ立場だったらどうだろう。 きっと好きな人の好きな人を簡単には好きになれない。 好きになろうとしても別の感情が邪魔をしてどんどん膨らんできてしまうからだ。 だけど好きな人の好きなものなら好きになれるかもしれないと思った。 というのも実際、過去に好きな人の好きなものを好きになろうと努力をしたことがあるからだ。 先日、部屋の模様替えを行い、本棚を移動させるために本を棚から出した。 するとあるひとつの本を見つけた。 それが『奇術入門シリーズ カードマジック(著:高木重郎)』。 懐かしいなと思いページをめくる。 本はほぼ新品に近い。 私はこの本の中のマジックを何一つマスターできていないからだ。 ではなぜこの本を買ったのか。 それは私の大好きな二宮くんがテレビでトランプマジックを披露していたからだ。 素人の私には種も仕掛けもわからないカードマジックを男性にしては小さめで丸っこい手で飄々とやってのける彼がとてもかっこよかった。 いざ準備が整い、練習を初めたのだけれどカード(=トランプ)といえば小さい頃ババ抜きや七並べをやっていた程度。 そもそも私はトランプのカードをまともに切ることすらできなかった。 まずはカードを切るところから始めたのだけれど、非常に根気が必要だった。 指先が何度も擦れて次第に痛くなる。 何日間か続けるうちに心が折れた。 結局マジックに取り組む段階にすら至らなかった。 カードマジックを習得するにおいて、生まれ持った手先の器用さやミスディレクションの技術・話術はもちろん必要だ。 だけどそれよりも必要なのは根気だった。 彼はマジックをテレビで披露できるレベルに至るまでどのくらいの時間、カードと向き合っていたのだろう。 彼が番組でプロから絶賛されていたときに嬉しそうだったあの顔を思い出す。 喜びもひとしおだったに違いない。 私はマジックを習得することはできなかったけれど、彼が好きなことを自分もやってみることでその背景がわかったことは喜ばしいことだ。 好きな人の好きなものを好きになる。 それは相手を知る上で必要な過程であり、手っ取り早い方法なのかもしれない。 誰かがおすすめしていること、ものにチャレンジしてみればその人のことがわかるからだ。 例えば、漫画。 面白いよ! と言われたものを何冊か読んでみる。 続きが読みたいと思えば儲けもの。 自分自身の楽しみが増える。 勧めてくれた人との共通の話題ができるし、関係も深まっていくだろう。 例えば音楽。 このアーティストがすごい! と言われれば何曲か聴いてみる。 メロディー、歌詞、声……。 全曲好きになるかもしれない。 一部の曲だけ好きになるかもしれない。 今まで聴いたことのないジャンルであれば新しい世界が拓けるだろう。 例えば本。 おすすめしてくれた作品にどんな傾向があるのか。 話の展開、キャラクターの性格、文体。 人によって好みが分かれるものなので一冊読むのに苦労するかもしれない。 だけど相手を知るにはその苦労をする価値がきっとある。 おすすめしているものが一切、自分にはまらなくても構わない。 好きになれればなおよし、くらいの軽い気持ちでチャレンジしてみればいい。 結果を共有することで少なくとも自分と相手の考えのすり合わせができる。 「なるほど。 私とはちょっと違うな」、でいい。 無理に合わせると疲れてしまう。 「この人のことをもっと知りたい」。 そう思ったとき、その人の好きなものを好きになることから始めてみたい。 もしそれを、苦だと感じなければ、きっと良い関係を築いていける。

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【ねことちよ】 [感想] 猫みたいな幼児に癒される日々 #1巻応援

ね こと ちよ

『「希望の明日へ 池田名誉会長スピーチ珠玉集」に下記がありましたよ~ P. 正法ではない。 そのことは、他宗日蓮宗の姿を見れば明らかである。 その堂宇伽藍には、大聖人の御真筆の御本尊さえ、ある。 しかし正しき信心がないゆえに邪流となってしまっている。 なかんずく一宗の中心になる人の信心が狂ってしまえば、そこには正流はない。 指導者が悪人であれば、だれも法を信じない。 磨かねばならない。 どこまでも自身の鏡を磨き、胸中の御本尊を力強く湧現するために大聖人は御本尊を建立されたのである。 「観心の本尊」と大聖人は仰せである。 「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書1244ページ)と大聖人は断言している。 信心があれば、そこに御本尊が顕現される。 信心なくば、どんなに御本尊を持っていても功徳はない。 198 仏法は道理である。 学会員は、法のため、人のため、広宣流布のために、日々、懸命に行学に励んでいる。 その真心の信心が、しんしんと降り積もる雪のように、わが身の善根とならないはずはない。 信心強き人は、最後は必ず勝つ。 必ず栄えていくのである。

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【画像】ぐうかわロリサキュバス(10)「あたちとエッチなこと、ちよ?」

ね こと ちよ

OLの「ちよ」は幼児の「ねこ」と。 髪型や行動がどことなく猫っぽい、人間(?)の幼児のねこに、ちよは毎日癒される。 ねこの「猫っぽい」様子が独特で愛らしい。 動作や習性等、本当にねこが「猫」にしか見えない時があり、そんなねこを見ているのが楽しい。 漫画の中の幼児を、例えば『』のよつばの様な表情豊かな子供と、例えば『』の虎太郎の様な無表情な子とに分けるとしたら、ねこは後者。 目の形が変化せず、口角も上がらない。 しかし無表情は、却って細かな感情を雄弁に語る。 目の色の変化、顔の紅潮、口の結び方と開き方、そして動作。 この子色々考えてるなぁ、と細かな機微を感じ取れることが楽しく、愛らしさを一層増す。 1巻では何故この二人が共に暮らしているのか明記されない(親……ではなさそうな)。 それにねこの「猫っぽさ」や、その他にも結構謎の部分がある。 しかし、謎に引っかかるものの、ねこの感情の機微と、溺愛しつつもねことちゃんと向き合うちよ、時折ちょっと悪いことをねこに教えるお姉さん・まきとの日々の様子は、ゆっくり見守りたいと思わせるものがある。 子供の日々の歩みに寄り添うような、優しい子育て漫画だ。

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