フランコ コロンボ。 ミスターオリンピアにおいて論争の的となったジャッジ5選

フランコ・コロンボ

フランコ コロンボ

イタリア出身のボディビルダーで、「コナン・ザ・グレート」や「ターミネーター」などに役者として出演していたフランコ・コロンボ氏が、故郷サルデーニャ島で死去したと、米Deadlineが報じた。 78歳だった。 イタリア出身のコロンボ氏は、プロボディビル界の最高峰とされるミスター・オリンピアで2度優勝。 同賞で7回優勝したアーノルド・シュワルツェネッガーと親交が深く、シュワルツェネッガー主演の「コナン・ザ・グレート」「ターミネーター」「バトルランナー」「シュワルツェネッガー ラスト・アクション・ヒーロー」などに、役者としてカメオ出演をしていることで知られる。 ロサンゼルス在住だが、休暇で帰郷したサルデーニャ島で海水浴中に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。 訃報を受けて、シュワルツェネッガーはオンライン上に悼辞を掲載。 「ミュンヘンで出会った瞬間から、私たちは悪友同士となった。 お互いを励まし合い、競い合い、その過程でいつも笑い合ってきた。 憧れのアメリカにやって来たとき、私は孤独だった。 家族と祖国、それまでの人生を捨ててきたからだ。 だからこそ、私はジョー・ウェイダー(ボディビルダー界の大物)に、君を連れて来て欲しいと頼んだ。 親友がいなくては、私はいつもの力を発揮することができなかった。 金も両親もいなくて平気だが、君なしではダメだった。 そして、君のお陰で、私の人生はもっと楽しく、もっとカラフルで、もっと完全なものになった」と、盟友との思い出をつづった。 外部サイト.

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刑事コロンボ 62話『恋におちたコロンボ』脚本ピーター・フォーク

フランコ コロンボ

もくじ• フランコ・コロンボのプロフィールと経歴 ・ Franco Columbu ・身長 165cm ・体重 83. 5kg ・上腕 48. 26cm ・胸囲 127cm 最初はボクシングをしていた コロンボは、1941年にイタリアのサルディニアで生まれました。 後にボディビルで鳴らすことになるコロンボですが、子供の頃はひ弱だったそうです。 「よく喧嘩に負けて泣いてたよ」と本人は話しています。 しかし、11歳の頃にボクシングを始めてからは、形勢逆転。 今度は、相手を泣かす側になりました。 そのままボクシングを続けるうちに、イタリアのアマチュアボクシング界では名の知られる存在に。 しかし、彼は結局ボクシングはやめてしまいます。 「顔に傷つくし、パンチドランカーになったら嫌じゃん」とのこと。 ボクシングの練習の一環で、筋トレをしていたコロンボは、この時点でそれなりの見た目になっていたそうです。 ボクシングをやめた後も、筋トレは続けていたコロンボは、ボディビルの大会に出場するようになりました。 ある日、ミュンヘンで開かれたボディビル大会に出場したところ、 ある男と出会います。 それは、アーノルド・シュワルツェネッガー。 彼らはすぐに意気投合。 生涯に渡る親交を結ぶことになります。 コロンボは、アーノルドの娘の名付け親にもなっています。 2人でアメリカに移住。 ボディビルの一時代を築く その後、コロンボはアーノルドと一緒にアメリカに移住。 一緒にベニスのゴールドジムで鍛えながら、ボディビルの大会では切磋琢磨していました。 コロンボは、1970年にはMr. ユニバースで優勝し、1974年にはミスター・オリンピアの軽量級(現在は軽量級はない)で優勝するなど、 時代を代表するビルダーに成長。 1976年には、オリンピアのオーバオールを制覇し、世界一になりました。 また、1982年にもオリンピアを制覇しています。 コロンボは、アーノルドとのあるエピソードを話しています。 昔、アーノルドと一緒にスクワットをしてた。 183kgで10レップ。 アーノルドは、自分のセットが終わった後、水を飲みに行ったんだ。 で、俺はちょっとサボって8レップしかやらなかった。 すると、彼が戻ってきてこう言った。 「おいフランコ、鏡で見てたぞ。 8レップしかやってないじゃないか。 今すぐ残り2レップをやれ。 それからもう1回最初からやり直せ」とね。 彼は、本当に徹底していた。 彼と一緒に筋トレしてなかったら、俺はオリンピアを獲れていないと思う。 パワーリフター・ストロングマンとして コロンボは、ボディビルダーとして活躍する一方で、パワーリフターやストロングマンとしても活躍。 パワーリフティングの記録は、 ・ベンチプレス 238kg ・スクワット 297kg ・デッドリフト340kg ・トータル 875kg 体重は80kgほど。 化け物です。 また、1977年には第1回ストロングマンコンテストに出場しています。 ほとんどの参加者は、コロンボよりも 50kg以上重かったのですが、彼は5位に入賞。 賞金4億円を獲得しました。 オリンピアで優勝して、ストロングマンで5位。 これはとんでもないことです。 大谷翔平も真っ青。 ちなみに、ストロングマンコンテストで冷蔵庫を背中に抱えて走った時に、膝を脱臼してしまいました。 これが原因で、1981年までどの大会にも出場できませんでした。 復帰戦の1981年ミスター・オリンピアでは、優勝しています。 この大会で現役を引退しました。 引退後 引退後は、俳優やトレーナーをしていました。 俳優としては、アーノルドが本格的に俳優デビューをした作品である『コナン・ザ・グレート』に出演。 また『ターミネーター』にも出ています。 最初の未来戦争のシーンで、抵抗軍の拠点に忍び込んでくるターミネーターの役です。 — 2019年 5月月7日午前10時48分PDT 親友のアーノルドも、。 フランコへ 君は、僕が自分の力だけでここまで来た人間と言われるのが嫌いなことを、知っているだろう。 君の存在なくしては、ここまで来られなかった、と何度も話したよな。 その理由を知っておいて欲しい。 僕らはミュンヘンで出会った時から、親友だった。 時には競い合い、時には笑い合い、一緒に切磋琢磨してきたよな。 僕がアメリカに行った時、僕は1人だった。 家族も、母国も、これまでの人生も、全て置いていったから。 (ミスター・オリンピアの創設者)に、君も一緒にアメリカに呼んで欲しいと頼んだのは、君がいないとだめだったからだ。 お金が無くても、家族に会えなくても平気だったけど、君がいないのは耐えられなかった。 僕は今、とても悲しんでいる。 ただ、同時に君と過ごした54年間にとても感謝している。 一緒に得たパンプや、よく遊んだチェス、工事現場でのバイト、食事、おふざけ、僕の人生の大切なことのそばには常に君がいた。 君は僕の人生に彩りを与え、より楽しく、完璧なものにしてくれた。 君がいなくて悲しいけど、君は僕やデビー、マリア(妻と子)その他世界中の人の心の中で生き続けるだろう。 デビーとマリアは、僕が面倒を見るから心配はいらない。 君を愛している。 君が僕にくれた楽しみや、アドバイス、瞳の輝きが消えることはない。 君はまさしく僕の親友だ。 いつも愛を。 アーノルド フランコ・コロンボのトレーニング パワーリフターらしく、高重量のBIG3を中心にトレーニングを組み立てていました。 メニューの例 胸トレの例 ・ベンチプレス ・ケーブルクロス ・ダンベルフライ ・インクラインベンチプレス ・プルオーバー ・ディップス ・ケーブルクロス 背中トレの例 ・懸垂 ・Tバーロウ ・ケーブルロウ ・ワンハンドロウ 肩トレの例 ・サイドレイズ ・リアレイズ ・ショルダープレス ・フロントレイズ ・ケーブルサイドレイズ 脚トレの例 ・スクワット ・レッグプレス ・レッグエクステンション ・ランジ ・デッドリフト 腕トレの例 ・トライセプスプレスダウン ・アームカール ・スカルクラッシャー ・プリーチャーカール ・フレンチプレス ・インクラインカール フランコ・コロンボの食事 コロンボは、卵が最高のタンパク源と考えていました。 特に、全卵をしっかり食べるべきと話しています。 「黄身のコレステロールは、問題ない」とも話しています。 日本でも、ようやく「卵は1日に何個食べても大丈夫」というのが知られてきましたが、50年前にこう考えていたコロンボはすごいですね。 勝者は、彼らが恐れるものに立ち向かう。 自分の体が好きだから筋トレをする。 嫌いだからやるわけじゃない。 アーノルドの影に隠れがちな化け物 アーノルドは、ボディビルダーとして実績と知名度ともに史上最強ですが、それはコロンボなしではなし得なかったことでしょう。 アーノルドの影に隠れがちですが、コロンボも化け物ですからね。 何度も書きますが、オリンピア優勝してストロングマンで5位入賞した人なんて、他にいません。 中島と言います。 1953年生まれ。 22~30歳の頃ボディビルをしていて、フランコ・コロンブやアーノルド・シュワルツェネッガー(当時はシュワルツネガーだったと思います)がボディビルディング誌に写真入りで掲載されていて、毎月読むのが楽しみでした。 特に私は160cmなので、フランコ・コロンブが大好きでした。 コロンブのことを調べていたら昨年亡くなったとあり、びっくりです。 そしてこのサイトに行き着きました。 あの頃、松山令子さんという人がおられて、コンテストのレポートを掲載されていました。 シュワルツェネッガーやコロンブとも懇意にされていたと思います。 ボディビルディング界に多大な貢献をされたと思いますが、ネットで検索しても功績を称えるような記事が全くないのが残念です。 このサイトは本当によくまとめられている内容ですね。 感心しました。 頑張ってください!!.

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究極の筋量: 究極の筋量 vol.7 厚みをつける最終兵器 デッドリフト

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イタリア出身のボディビルダーで 「コナン・ザ・グレート」や「ターミネーター」などに役者として出演していたフランコ・コロンボさんが 故郷サルデーニャ島で亡くなりました 謹んでご冥福をお祈りします... 「コナン・ザ・グレート」出演の伊ボディビルダー、フランク・コロンボ氏死去 イタリア出身のボディビルダーで、「コナン・ザ・グレート」や「ターミネーター」などに役者として出演していたフランコ・コロンボ氏が、故郷サルデーニャ島で死去したと、米Deadlineが報じた。 78歳だった。 イタリア出身のコロンボ氏は、プロボディビル界の最高峰とされるミスター・オリンピアで2度優勝。 同賞で7回優勝したアーノルド・シュワルツェネッガーと親交が深く、シュワルツェネッガー主演の「コナン・ザ・グレート」「ターミネーター」「バトルランナー」「シュワルツェネッガー ラスト・アクション・ヒーロー」などに、役者としてカメオ出演をしていることで知られる。 ロサンゼルス在住だが、休暇で帰郷したサルデーニャ島で海水浴中に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。 訃報を受けて、シュワルツェネッガーはオンライン上に悼辞を掲載。 「ミュンヘンで出会った瞬間から、私たちは悪友同士となった。 お互いを励まし合い、競い合い、その過程でいつも笑い合ってきた。 憧れのアメリカにやって来たとき、私は孤独だった。 家族と祖国、それまでの人生を捨ててきたからだ。 だからこそ、私はジョー・ウェイダー(ボディビルダー界の大物)に、君を連れて来て欲しいと頼んだ。 親友がいなくては、私はいつもの力を発揮することができなかった。 金も両親もいなくて平気だが、君なしではダメだった。 そして、君のお陰で、私の人生はもっと楽しく、もっとカラフルで、もっと完全なものになった」と、盟友との思い出をつづった。

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